昨年に引き続き、今年も新宮市の「御燈祭り」に参加しました。
御燈祭りは、神倉神社で毎年2月6日に行われる、約1400年以上の歴史をもつ女人禁制の火祭りです。熊野の神に新しい炎を戴き、一年の平穏を祈る神事として、今も大切に受け継がれています。白装束に身を包んだ男たち「上り子(のぼりこ)」が松明(たいまつ)を手に、断崖絶壁に築かれた538段の急峻な石段を一気に駆け下ります。そのお祭りに参加する為に、毎年1500~2000人もの男たちが集まります。

阿須賀神社

熊野速玉大社

妙心寺
御燈祭りの前に、熊野全体の神々と祖霊に身を正す為に、各神社・お寺に参拝に行きます。
この祭りには、男たちを否応なく熱くさせる、特別なエネルギーがあります。それはいったい何なのだろう――今年はその答えに少し近づけた気がしました。
今回は、出発地点である鳥居のすぐ近くに陣取ることができました。この場所は、「我こそは」と駆け下りる順番にこだわる人たちが集まるエリア。出走前の競走馬のように、今か今かと高揚感と熱気に包まれていました。
御神火が分けられ、松明に火が灯されると、あたり一面が炎に照らされ、幻想的な光景が広がります。その火は、まるで男たちの内側に眠る闘争心に直接火をつけるかのようです。炎と煙に包まれながら、ただ開始の時を待ちます。



やがて、下山の儀式の始まりを告げるほら貝の音が響き、扉が開かれた瞬間、上り子たちはものすごい勢いで石段を駆け下りていきました。前方に位置していたものの、この流れに巻き込まれるのは危険だと判断し、私は脇に寄って様子を見守りました。雄叫びを上げて走る人、躓いて転倒する人、さらにそれに巻き込まれる人――まさに、エネルギーと熱量の爆発です。
この祭りは順位を競うものではありません。それでも、人は我先にと前へ前へと駆り立てられます。きっと、この神秘的な光景そのものが、人の心をそうさせるのでしょう。
もちろん、多くの人はゆっくりと、安全に御神火を届けるために石段を下っていきます。男たちは、危険を承知のうえでこの御神火を運びます。それは、持ち帰った火が家族に健康と幸せをもたらすと信じられているからです。
家族のため、愛する人のために身体を張る。
それこそが男の役目であり、あの圧倒的なエネルギーの源なのかもしれません。
御燈祭りは、男としての魂を呼び起こし、目覚めさせ、参加した者に誇りを与えてくれる――そんな意味も秘められた祭りなのではないでしょうか。今回の体験は、自然とそんな思いを抱かせるものでした。
私も無事に、家族と、そしてこの宿を訪れてくださるゲストの皆さんへ幸福をもたらす御神火を持ち帰ることができました。


